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シマノが製造・販売した最初の製品。当時、自転車部品の中でも特に製造が難しいとされていたフリーホイールに、創業者・島野庄三郎がその品質・性能の向上をめざして情熱を注いだ。現在にも受け継がれるシマノの「チャレンジスピリット」の原点。
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1970年代、より高度な技術力が必要とされていたベイトリールの開発・生産に着手したシマノ。バスフィッシングの本場であったアメリカで徹底的に市場を学び、釣り人の使い心地を追求してつくり上げたベイトリールは、世界中の人々の関心を集めた。本格的な販売を決定し、1978年、日本国内向けブランドとしてラインアップを拡大したのが、このBMシリーズである。
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1965年にアメリカに進出したシマノは、次なる市場として、いよいよプロロードレースが盛んなヨーロッパへの進出を決めた。すでに自転車産業が成熟し、老舗メーカーがひしめくこの市場に参入するために、レーシング用高級部品というシマノにとって全く新しいジャンルへの挑戦がはじまった。完成したシリーズコンポーネンツは、その素材であるduralumin、そしてdurability(耐久性)と、「一番に」という思いを込めた「ace」に由来し、「DURA-ACE」と名付けられ、プロチームへ部品提供を開始し、徐々に広まっていった。想像を絶する過酷な環境下で使用され、品質や機能の要求レベルも高いレース用部品への挑戦は、その後のシマノの技術力の向上に多大な効果をもたらした。
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1973年にヨーロッパ市場に参入したシマノは、徐々にその名が広がりつつあるもののまだ広く受け入れられたわけではなかった。革新的な機能を模索し続けていた折、自転車の「空気抵抗」を低減する形状をしたエアロダイナミクスバイクに着目。本格的にそのコンポーネンツの開発に着手したのだった。徹底的に各部品のエアロ形状と軽量化を進め、ついにはその開発スピードを速めるために、巨額の資金を投入して社内に風洞実験室まで準備した。そして、わずか半年という開発期間でDURA-ACE AXシリーズが誕生。シマノは満を持してこの製品を世に問い、市場は驚きをもって受け入れた。しかしデビュー後、DURA-ACE AXは市場でお客様の満足を得ることができず、その終わりを迎えた。シマノはこの時の教訓を今でも決して忘れず、企画・開発・製造が一体となったこころ躍る製品づくりを行っている。
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1970年代後半、アメリカの西海岸で野山をかけまわる自転車の乗り方がブームとなっているという情報を得たシマノは、即座に本社からスタッフを現地へ派遣。その楽しみを実際に目の当たりにして大きな可能性を確信し、専用コンポーネンツの開発にとりかかった。最も困難を極めたのは、求められる堅牢性の高さに対応することだった。これまでとは比べものにならないほど過酷な環境下で使用され、まして雨水や泥の中でも使用できるシールド性も保持していなければならない。アメリカ中の砂や泥を集めて耐久試験を繰り返し、徐々にその完成度を高めていった。そして誕生したのが、初代マウンテンバイク用コンポーネンツ「DEORE XT」。マウンテンバイクのムーブメントはその後世界中へ広がり、シマノの成長を後押しした。
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1973年に発売された初代DURA-ACE以降、EX、AXシリーズとして世代を重ねてきたDURA-ACEだが、本場ヨーロッパのレースシーンでの評価は決して高いものではなかった。そんな中、機能、品質、デザインすべてをもってDURA-ACEの復権に挑んだのが、7400シリーズだった。それまで、主に子供用自転車に採用されていた「変速位置決め機構」をレーシング用コンポーネンツに採用。レース中に多発する変速操作ミスによるスピードダウンの減少をめざし、シフトレバーに位置決め機構「SIS(Shimano Index System)」を搭載。レーサーが極限の状態でも確実な変速操作を可能にした。また、従来のフリクション機構への切り替えも可能にすることで、この新機構は安心感をもって受け入れられ、プロレーサーから高い評価を獲得した。
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1970年代後半にかけて、シマノはより変速性能を高めるため、チェーンやギアの歯先形状に着目したUG(UNIGLIDE)システムを開発。飛躍的に変速性能を高め、長らくシマノのシステムコンポーネンツを支えた。1989年、今につながるさらに進化した「HG(HYPERGLIDE)」システムを開発。「変速」という動作の一部始終を徹底的に見つめなおし、チェーンとギアの関係性を追求。チェーンを誘導するためギアの歯ひとつ一つに異なる特殊な形状を施し、チェーンの架け替えを確実に、そして少ないショックで行えるようにした。また、チェーンには、ギアとよりフィットする形状でふくらみを持たせたアウタープレートの開発や、しなやかさ・剛性を向上させた。このHGシステムの開発により、これまでとは一線を画するほどスムーズで確実な変速が可能となった。
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1984年、変速位置決め機構SIS(シマノ・インデックス・システム)を開発したことで、変速操作は格段に扱いやすいものとなった。次にシマノは、これまでダウンチューブにつけられ、変速時にはハンドルから手を離さなければ操作できなかったシフトレバーを、手元にもってくることはできないかと考えた。そして、ブレーキレバーにシフトレバーの機能を加え、1つのレバーでブレーキングとシフティング、両方のコントロールを行なうことを思いついたのだ。1990年、DURA-ACE 7400シリーズに搭載された「Dual Control Lever」を発表。これは、ロードレースの世界に大きな革新をもたらすこととなった。Dual Control Leverは現在まで更なる進化を続けながら、すべてのライダーに安心、安全、確実な変速を提供している。
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1970年代後半からペダルに参入したシマノは、独自性を追求しながらペダルの付加価値を高めるべく、さまざまな製品を展開していきました。そして、1990年、ペダリングの操作性と着脱の容易さ、そしてバイクを押したり、担いだりすることも必要なオフロードでの歩行性も兼ね備えた新しいペダリングシステム「SPD(Shimano Pedaling Dynamics)」が誕生しました。「Bike it or Hike it」のキャッチコピーの下で発表されたSPDは、その使いやすさから、大きな支持を獲得。さらに、他社のシューズメーカーにも互換性を持った製品づくりを呼び掛けるなど業界全体でSPDを推進していく体制をつくり上げるなどし、SPDはサイクルスポーツ用ペダリングシステムのスタンダードとして、広がりを見せました。
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投げ釣り専用リールのフラッグシップモデルとして、精度・剛性を徹底追及し投げ釣りの世界に画期的な変革をもたらしたSUPER AEROシリーズに、チタンボディを採用して登場。チタン素材を採用することによって更なる精度、精密さ、剛性を実現するとともに、細部にわたる軽量化技術は、結果として美しいフォルムをつくり出した。キャスト時にワンタッチでスプールを最前部に出せるズームアップスプールや超密巻き機構、冷間鍛造を駆使した大口径のマスターギアSuper SHIPなど、当時の最新技術をフル装備し、その存在感を見せつけた。
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軽さ―それは自転車部品に求められる要素の1つであり、いつの時代も挑戦してきた永遠のテーマである。特にクランク部分の「軽さ」は、「剛性」と合わせてペダリング効率に大きく関わる重要なファクターだ。相反するこの2つの要素の両立を可能にする中空クランクの技術が初めて採用されたのが、1995年に発売したXTR M950シリーズであった。その後、中空構造技術は進化を続け、1999年にHOLLOWTECHと名付けられた。2004年には、ボトムブラケット軸をクランクと一体構造にすることで、さらなる剛性と軽量化、そしてペダリング効率の向上を実現したHOLLOWTECH Ⅱへと昇華した。
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2000年代に入ると、シマノが創業以来培ってきたものづくりの歴史に電子デバイスを融合することで、人々にとってさらに使いやすく快適なコンポーネンツを目指す「DI2(Digital Integrated Intelligence)」という概念が登場する。そこで生まれた技術をベースに2009年、DURA-ACEに投入された「SEIS(Shimano Electronic Intelligent System)」は圧倒的なストレスフリーを実現し、レースシーンに新たな可能性を提案した。
シマノが製造・販売した最初の製品。当時、自転車部品の中でも特に製造が難しいとされていたフリーホイールに、創業者・島野庄三郎がその品質・性能の向上をめざして情熱を注いだ。現在にも受け継がれるシマノの「チャレンジスピリット」の原点。
1970年、自転車部品に次ぐ事業の柱として、釣具事業に進出。シマノの強みであったギアの開発・製造をベースに完成した、シマノ初のスピニングリール。
1950年代、それまでフリーホイールやハブを生産していたシマノは変速機の生産に着手。レジャーや実用性を備えたシマノ初の内装変速機を1958年に販売した。その後、独自の技術改良を重ね品質を向上させるとともに、サービス体制も整えるなどし、国内外で高い評価を獲得。シマノが本格的に世界に進出していくきっかけとなった製品である。
1970年代、より高度な技術力が必要とされていたベイトリールの開発・生産に着手したシマノ。バスフィッシングの本場であったアメリカで徹底的に市場を学び、釣り人の使い心地を追求してつくり上げたベイトリールは、世界中の人々の関心を集めた。本格的な販売を決定し、1978年、日本国内向けブランドとしてラインアップを拡大したのが、このBMシリーズである。
1965年にアメリカに進出したシマノは、次なる市場として、いよいよプロロードレースが盛んなヨーロッパへの進出を決めた。すでに自転車産業が成熟し、老舗メーカーがひしめくこの市場に参入するために、レーシング用高級部品というシマノにとって全く新しいジャンルへの挑戦がはじまった。完成したシリーズコンポーネンツは、その素材であるduralumin、そしてdurability(耐久性)と、「一番に」という思いを込めた「ace」に由来し、「DURA-ACE」と名付けられ、プロチームへ部品提供を開始し、徐々に広まっていった。想像を絶する過酷な環境下で使用され、品質や機能の要求レベルも高いレース用部品への挑戦は、その後のシマノの技術力の向上に多大な効果をもたらした。
シマノはさらに釣り人のニーズを追求するため、1年をかけてアメリカでフィールド調査を行った。そこから得た知見から、「やさしさ・楽しさ・存在感」を開発コンセプトに、これまでの基本構造を見直したシンプルで堅牢な構造を持つベイトリールの開発に注力、「Bantam」が製品化された。小型、軽量、精密を実現したこのBantamは、初心者から上級者まで、世界中のユーザーに高い評価を受け、のちにシリーズ化されている。シマノの釣具が世界に羽ばたくきっかけとなった製品だ。
1973年にヨーロッパ市場に参入したシマノは、徐々にその名が広がりつつあるもののまだ広く受け入れられたわけではなかった。革新的な機能を模索し続けていた折、自転車の「空気抵抗」を低減する形状をしたエアロダイナミクスバイクに着目。本格的にそのコンポーネンツの開発に着手したのだった。徹底的に各部品のエアロ形状と軽量化を進め、ついにはその開発スピードを速めるために、巨額の資金を投入して社内に風洞実験室まで準備した。そして、わずか半年という開発期間でDURA-ACE AXシリーズが誕生。シマノは満を持してこの製品を世に問い、市場は驚きをもって受け入れた。しかしデビュー後、DURA-ACE AXは市場でお客様の満足を得ることができず、その終わりを迎えた。シマノはこの時の教訓を今でも決して忘れず、企画・開発・製造が一体となったこころ躍る製品づくりを行っている。
ロッドは、竹からポリエステル、グラスファイバー、そしてカーボンへと、その素材の開発や改良によって進化し、時代のニーズを満たしてきた。そして、シマノでは新たな素材を取り入れるだけでなくその構造自体にも着目し、独自に研究を進めていた。2本のカーボンヤーンをクロス状に「斜め」方向に巻く「Xライン」構造を開発したのだ。これによって、軽量化と耐久性のみならず、調子にも優れたロッドが実現し、現在にまで継承されるシマノのロッドの基本構造が完成した。翌年には「Hi-PowerX」と改称し、当時まだシマノの知名度が低かったへら竿市場に上級グレードとして登場させた製品が「朱紋峰」である。高級感のある独特の朱紋仕上げとともに、高い機能性、使用感の良さで市場の評価を得た。X構造が、シマノの高性能ロッドの代名詞として世間に広く認知されたのである。
1970年代後半、アメリカの西海岸で野山をかけまわる自転車の乗り方がブームとなっているという情報を得たシマノは、即座に本社からスタッフを現地へ派遣。その楽しみを実際に目の当たりにして大きな可能性を確信し、専用コンポーネンツの開発にとりかかった。最も困難を極めたのは、求められる堅牢性の高さに対応することだった。これまでとは比べものにならないほど過酷な環境下で使用され、まして雨水や泥の中でも使用できるシールド性も保持していなければならない。アメリカ中の砂や泥を集めて耐久試験を繰り返し、徐々にその完成度を高めていった。そして誕生したのが、初代マウンテンバイク用コンポーネンツ「DEORE XT」。マウンテンバイクのムーブメントはその後世界中へ広がり、シマノの成長を後押しした。
ロッドに求められる機能の1つは、自らの手と一体化したような操作性や繊細な感度である。1980年代、シマノはロッドのさらなる価値向上を目指し、高感度を実現するグリップ部の独自開発に着手した。そして、バスフィッシング用ロッドに、フルカーボンでブランクスとリールシートを一体化したこれまでにない構造を採用し、大幅な軽量化と高感度を実現した。また、ホールド時のリールとの一体感も向上し、操作性も格段によくなった。このMagnumlite GTは、リールとセットで提案され、その斬新なデザインも相まって、アメリカで高い評価を獲得。シマノのロッド製品が世界に認知されるきっかけとなった製品である。
1973年に発売された初代DURA-ACE以降、EX、AXシリーズとして世代を重ねてきたDURA-ACEだが、本場ヨーロッパのレースシーンでの評価は決して高いものではなかった。そんな中、機能、品質、デザインすべてをもってDURA-ACEの復権に挑んだのが、7400シリーズだった。それまで、主に子供用自転車に採用されていた「変速位置決め機構」をレーシング用コンポーネンツに採用。レース中に多発する変速操作ミスによるスピードダウンの減少をめざし、シフトレバーに位置決め機構「SIS(Shimano Index System)」を搭載。レーサーが極限の状態でも確実な変速操作を可能にした。また、従来のフリクション機構への切り替えも可能にすることで、この新機構は安心感をもって受け入れられ、プロレーサーから高い評価を獲得した。
1980年代半ば、シマノでは新しい機能でさらに魅力あるものを作ろうと、プラスアルファを意味する「α」を冠した新製品群の開発に力を注いでいた。そんな中、伝統的な鮎の友釣りにおける、7m以上もの長尺ロッドの操作性の難しさに目を付けた。そして開発されたのが、瞬時に竿の長さを伸縮することができる「ZOOM」機構だった。この機構により、狙ったポイントへの振り出しや操作性が格段に向上し、アングラーから好評を博した。その後、「αZOOM」と改称し、幅広い釣り種類へ展開され、シマノを代表するロッドテクノロジーへとさらなる進化を遂げていった。
1970年代後半にかけて、シマノはより変速性能を高めるため、チェーンやギアの歯先形状に着目したUG(UNIGLIDE)システムを開発。飛躍的に変速性能を高め、長らくシマノのシステムコンポーネンツを支えた。1989年、今につながるさらに進化した「HG(HYPERGLIDE)」システムを開発。「変速」という動作の一部始終を徹底的に見つめなおし、チェーンとギアの関係性を追求。チェーンを誘導するためギアの歯ひとつ一つに異なる特殊な形状を施し、チェーンの架け替えを確実に、そして少ないショックで行えるようにした。また、チェーンには、ギアとよりフィットする形状でふくらみを持たせたアウタープレートの開発や、しなやかさ・剛性を向上させた。このHGシステムの開発により、これまでとは一線を画するほどスムーズで確実な変速が可能となった。
Bantamシリーズから派生するかたちで発表された「Bantam Scorpion」。日本国内のバスフィッシング市場にねらいを定め、日本人の手の大きさや、感性に触れる製品を開発コンセプトにし、1990年にリール、翌年にそれに合わせたロッドを上市した。機能性・操作性もさることながら、「スコーピオンレッド」と称されたこれまでにないカラーデザインと、「日本人のための日本のベイトリール」というキャッチコピーは、たちまち釣り人たちの心を掴み、大きな反響を得た。その後、「Scorpion」ブランドとして、ウェアやベストのほか、用品もラインアップ。国内バス釣りブームを支えた。
1984年、変速位置決め機構SIS(シマノ・インデックス・システム)を開発したことで、変速操作は格段に扱いやすいものとなった。次にシマノは、これまでダウンチューブにつけられ、変速時にはハンドルから手を離さなければ操作できなかったシフトレバーを、手元にもってくることはできないかと考えた。そして、ブレーキレバーにシフトレバーの機能を加え、1つのレバーでブレーキングとシフティング、両方のコントロールを行なうことを思いついたのだ。1990年、DURA-ACE 7400シリーズに搭載された「Dual Control Lever」を発表。これは、ロードレースの世界に大きな革新をもたらすこととなった。Dual Control Leverは現在まで更なる進化を続けながら、すべてのライダーに安心、安全、確実な変速を提供している。
バスフィッシング用両軸リールとして1991年に登場したCALCUTTAは、精緻な切削加工によって削り出された独創性のある美しい丸型リールとして世界中から注目を集めた。美しさだけではなく、アルミ素材を採用したワンピースボディによって剛性やひずみにくさを追求するとともに、充実した機能も装備。最先端の技術を常に導入しながら、美と機能を兼ね備えた丸型リールの代表格として、幅広い用途に対応しながら進化を続けている。
1970年代後半からペダルに参入したシマノは、独自性を追求しながらペダルの付加価値を高めるべく、さまざまな製品を展開していきました。そして、1990年、ペダリングの操作性と着脱の容易さ、そしてバイクを押したり、担いだりすることも必要なオフロードでの歩行性も兼ね備えた新しいペダリングシステム「SPD(Shimano Pedaling Dynamics)」が誕生しました。「Bike it or Hike it」のキャッチコピーの下で発表されたSPDは、その使いやすさから、大きな支持を獲得。さらに、他社のシューズメーカーにも互換性を持った製品づくりを呼び掛けるなど業界全体でSPDを推進していく体制をつくり上げるなどし、SPDはサイクルスポーツ用ペダリングシステムのスタンダードとして、広がりを見せました。
スピニングリールの「常識」とも言われていたハンドル回転時のブレを大幅に軽減するSBL(Shimano Balance Lock)システムを開発し、1992年に衝撃的なデビューを果たしたSTELLA。以来、究極の巻きごこちを追求し続け、世界中のユーザーから圧倒的な支持を集めてきました。操作した瞬間に感じる驚くほどなめらかな巻き取り感覚は、指先の繊細な触覚の研究や、最先端の精密加工技術を投入した開発により実現。驚異的なバランス、パワフルで軽い回転、無駄を削ぎ落としたギアのモジュールと構造、美を究めた素材とデザイン。スピニングリールの歴史を大きく変えたSTELLAは、他の機種をけん引する不動の星として、今も燦然とその輝きを放ち続けています。
次第に「レース」としてもその楽しみが広がっていったマウンテンバイク。多くのライダーは年々過酷さを増すレースシーンに対応できる耐久性・軽量性を兼ね備えたコンポーネンツを切望していた。このような状況から、シマノはレースに特化した強度と品質、直感的な操作を可能とする専用コンポーネンツの新たな開発に注力。パーツ個々の機能をもった技術を有機的に統合し、システムとしてさらなる価値を追求するSTI(シマノ・トータル・インテグレーション)コンセプトのもと誕生したSHIMANO XTRは、その性能の高さと操作性のよさから、市場から驚きをもって迎えられた。
投げ釣り専用リールのフラッグシップモデルとして、精度・剛性を徹底追及し投げ釣りの世界に画期的な変革をもたらしたSUPER AEROシリーズに、チタンボディを採用して登場。チタン素材を採用することによって更なる精度、精密さ、剛性を実現するとともに、細部にわたる軽量化技術は、結果として美しいフォルムをつくり出した。キャスト時にワンタッチでスプールを最前部に出せるズームアップスプールや超密巻き機構、冷間鍛造を駆使した大口径のマスターギアSuper SHIPなど、当時の最新技術をフル装備し、その存在感を見せつけた。
軽さ―それは自転車部品に求められる要素の1つであり、いつの時代も挑戦してきた永遠のテーマである。特にクランク部分の「軽さ」は、「剛性」と合わせてペダリング効率に大きく関わる重要なファクターだ。相反するこの2つの要素の両立を可能にする中空クランクの技術が初めて採用されたのが、1995年に発売したXTR M950シリーズであった。その後、中空構造技術は進化を続け、1999年にHOLLOWTECHと名付けられた。2004年には、ボトムブラケット軸をクランクと一体構造にすることで、さらなる剛性と軽量化、そしてペダリング効率の向上を実現したHOLLOWTECH Ⅱへと昇華した。
1980年代後半より、電子制御技術を取り入れた釣具の開発に力を入れていたシマノ。2000年にはDC(デジタルコントロール)ブレーキという技術の開発をスタートさせた。それまでシマノでは、ベイトリールに遠心力を利用したブレーキを搭載してきたが、このDCブレーキは発電機能を合わせ持ち、電子制御によって自動で最適なブレーキをかけるという画期的な技術だった。およそ3年の月日を掛けて完成したDCブレーキは、2003年、CALCUTTA CONQUEST 200DCに実装され、その機能性から大きな反響を獲得した。
2000年代に入ると、シマノが創業以来培ってきたものづくりの歴史に電子デバイスを融合することで、人々にとってさらに使いやすく快適なコンポーネンツを目指す「DI2(Digital Integrated Intelligence)」という概念が登場する。そこで生まれた技術をベースに2009年、DURA-ACEに投入された「SEIS(Shimano Electronic Intelligent System)」は圧倒的なストレスフリーを実現し、レースシーンに新たな可能性を提案した。
リールの巻きごこちを決定づけるギア。シマノは精度や耐久性、そして滑らかさを追求するために研究を重ね、これまでに様々な技術を生み出してきた。さらなるフィーリングの向上求め、新たな手法から巻きごこちを向上する方法の模索が始まった。そして人間の指の触覚に着目し、ギアの歯(モジュール)を小さくすることで、人が感じるノイズも低減することを発見した。2012年、スムーズな巻き心地と強度を兼ね備えたMICROMODULE GEAR(マイクロモジュール ギア)が完成した。