フリーホイールからの出発

フリーホイールからの出発

株式会社シマノの前身である島野鐵工所が創業したのは1921年。国内では第一次世界大戦が終戦を迎えて不況の波が押し寄せて、創業者の島野庄三郎も勤めていた工場の閉鎖によって職を失い、一台の六尺旋盤機をもとに興した事業でした。身につけた旋盤技術を生かして機械の修繕屋を始めたのです。軌道に乗り出した創業2年目には、かねてから目をつけていたフリーホイールの生産を開始。研究を重ね、世界に通用するフリーホイールを完成させると、国内外で「シマノのフリー」と称されるまでになりました。

※フリーホイール:自転車の後輪の軸に取り付けられた歯車で、ペダルの回転を止めても車輪が回り続ける機構を備える部品。

STORY

当時の大阪の街

技術力と将来性にかけた挑戦

庄三郎がフリーホイールの生産を選択した背景には、いくつかの理由がありました。まず、自転車の中枢機能とも言えるフリーホイールは、技術力で勝負をするのに好都合だったからです。当時、堺で発展していた自転車産業の中でも、フリーホイールは特にその生産が難しいとされており、高い技術が必要とされていました。さらに、自転車部品は世界共通の規格となっているため、将来的に世界各国に製品を輸出できるという点も、大きな理由の一つでした。当時の日本製のフリーホイールは、強度、精度、そして見た目の点でも輸入品と比べてはるかに品質の劣ったもので、日本の自転車に取り付けられていたフリーホイールの多くは海外からの輸入品に頼ったものでした。

熱処理技術の改良とトレードマークにこめた想い

フリーホイールの強度、精度、見た目を決定づける品質の要は、熱処理技術にありました。新たな技術の構築に向けて従業員が一丸となって日夜研究を重ねた結果、独自の手法を完成させました。また、製品に使われるベアリングも高価ながら品質の高い海外製のものを採用するなど、妥協のない姿勢で製品改良に取り組むと同時に、一度に大量の生産を行う工程も確立。その後、さらに品質に磨きをかけ、創業10年にもなると、シマノのフリーホイールはその品質の高さが認められ、世界各地で使用されるようになりました。

フリーホイールの改善とともにブランドとしての信頼も確立しようと、トレードマークの作成にも取り組みました。当時世界有数のフリーホイールメーカーであったイギリスのB・S・A社のマークにあやかり、1922年に採用されたのが、3本の「矛」を組み合わせ、庄三郎の「三」からとられた「3.3.3.」を並べたマークです。このトレードマークは、まさに庄三郎の世界進出への心意気を表したものでした。

「3.3.3.フリーホイール」に注がれた品質向上への飽くなき挑戦と情熱は、シマノのものづくりスピリットの原点として、現在も世界中のシマノの従業員に引き継がれています。